古くから使われ、文化・文政(ぶんせい)という年号にも使われた。
しかし、今日広く使われている「文化」は、ラテン語cultura(耕作・育成を意味する)に由来する英語culture、フランス語culture、ドイツ語Kulturの訳語である。
中国でもこの訳語が逆輸入して用いられている。
この訳語は通俗的には、たとえば文化住宅、文化的な暮らしという表現のように、近代的、欧米風、便利さを示すことばとして広範に使われてきた。
また、これとは別に、学問的な装いを凝らした用法が二つある。第一は、学問、芸術、宗教、道徳のように、主として精神的活動から直接的に生み出されたものを文化という。
よく用いられるようになったのが無文字社会ということばである。
たとえばジョージ・ホマンズは、未開民族ということばは不適切であり、「無文字(読み書きをしない)」民族とよぶほうがよいと主張する。
しかし、文字がないということは社会の成り立ちそのものについてなにかを意味するわけではない。
そこでホマンズはこうした社会には、ほかの共通の社会組織に関する特徴が存在すると考える。
つまり、ホマンズによれば「これらの社会では現代のいかなる西欧社会にも比して、多くの活動が親族の原理によって成員権が決められる組織によって遂行されるのである」という。
しかし、これでは、未開社会が他の社会から区別されるのが、文字をもたないことによるのか、あるいはむしろ親族組織が社会構造のなかで大きな位置を占めることによるのか(それともその両方によるのか)よくわからない。
ジャック・グディは、社会の成り立ちそのものにかかわるどのような指標を選ぼうと、人類の社会を二群に分けることはできないと考えるが、文字をもたないということに特別の意義をみいだしている。
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というのは、書字法をもつかもたないかということはコミュニケーション様式の決定的な違いを生み出すと考えるからである。
グディは『未開と文明』のなかで、人間社会の知識や認識や思考にかかわる制度にとって書字法がどのような意義をもつか検討し、未開社会の特質とされる「非合理性」とか「前論理」とかいわれてきたものが、「未開人の心性」にではなくコミュニケーション体系に関与していると論じている。